関連資料を更新しました
DATE:2022.04.11
北九州市の保健福祉局の方から「ヒートマップシール」に関する資料をいただきましたので「関連資料」より、ダウンロードできるようにしました。
このヒートマップシールは”腎機能を重症度分類したカラーシール ”でお薬手帳に貼付するものです。
目的は①患者本人が自分の腎機能について理解する②ヒートマップシールを軸にして医療者が多職種で連携して腎症の発症予防・重症化を防ぐ。
活用方法は①医師がCKDの方を対象に、該当する重症度分類の色のシールを患者さんと相談し、お薬手帳に貼付する②貼付した年月、CKDの重症度分類に〇を記入する。
尺貫法
DATE:2022.04.05
僕が臨床検査技師として社会人になったのは1981年、第2次世界大戦が終わって36年後のことで、戦争体験者も多数おられ、「日本兵」として戦地に行っていて方も結構、おられました。
臨床検査技師の業務に「肺機能」というのがあります。「肺活量」や「1秒率(1秒間に総肺活量の何%を吐き出せるか)」等を測定するのですが、計算式に年齢、性別、身長、体重の入力が必要になります。
ある日、被験者が60歳ぐらいの男性だった時に「身長と体重はわかりますか?」と尋ねると、「うーん、徴兵検査の時は〇尺〇寸、体重は〇貫目やったよ」と。戦前の日本は「尺貫法」、メートルとキログラムしかわからない(まあ、今の日本ではたいていの人がそうでしょうが)僕は、直ぐに検査室内に置かれていた身長計と体重計にご案内し、肺機能検査を行ったことがありました。因みに1尺は30.303cm、1寸はその10分の1。1貫は3.75kg。
「今時、尺貫法は使わないな」と思っている方「1升、1合、1坪」等など、今でも日本では尺貫法は生きているのです。M
坂
DATE:2022.03.11
人は人生のうちにまさかの坂を幾度となく経験する。
受け止め方は様々であろうが大きかれ小さかれ悲嘆のプロセスがあるのは間違いない。
私自身も昨年月から今までの短期間に小さな坂を2度経験した。敗れる寸前のしもやけ(現在治療中)も含めると3回か。
一生受けないと決めていた大腸ファイバーだったが何かに突き動かされ胃カメラから何の抵抗もなく変更し、開業医で受けることになった。1時間半ほどかかった。
検査の途中では目覚めてしまい、先生の説明が耳に入らないようなきつい思いを経験した。
結局5つのポリープは取れたが残りの1つ(大物…10人に一人は癌らしい)が取れず、1月末に某病院で2泊3日の入院治療となった。
個室を希望していたが、コロナ渦では面会もなく寂しいとの友人の勧めで4人部屋に変更した。
私より少し遅れて入院してきたOさんは“失礼します”と言って私のカーテンを開け元気な声で自己紹介し窓際の2人にも同じように挨拶に行った。
他の2人は前回の入院時も同じ部屋であった様子で親しくおしゃべりが始まった。私は2泊3日であっても、挨拶をと思い2日目の午後、点滴から解放され窓のところにOさんと一緒に立った。まず、挨拶してくれたことを感謝し、同じように自分の自己紹介と入院のいきさつを話した。分かったことは2人が癌の患者さん(あとお一人は不明)であり抗がん剤治療のゴール手前。
Oさんは50歳代前半、たまたま行った健診で見つかり、手術後抗がん剤治療を受けている。治療後には頭髪・眉毛全てなくなったこと。汗はそのまま目に入ること。帽子は自宅用とお出かけ用が必要、あわててかぶると反対だったりかぶるのを忘れ玄関に出てあわてて引き返すなど、明るく話してくれた。笑っては失礼と思いつつもOさんも一緒に笑っている。
今日点滴したらしばらく高熱で動けないので筋肉が落ちないようにずっと立って鍛えているという。“明るく過ごさないと。多くを考えたらきりがない。主人は心配してくれているけれど、退院すると今日の夕ご飯何作ってくれる、だから…あははー。
周りを笑わせ元気にするパワーには学ぶことが多かった。
お産以来、入院の経験はなかったが、医療者への感謝はもちろんのこと、裏方での配膳の用意をしてくださる方々にも感謝。昔は一色のプラスチック容器だったが、今ではきれいな絵模様がある食器に“食欲を出して”という思いが込められ、温かいものは暖かく出していただくことに、準備に携わる方々へ頭が下がる思いであった。
その思いを口に出そうとしたとき80代のBさんは病院食が口に合わず、ご飯に持参のノリをつけて食べる以外は全部残しているとの思いを述べ、私は取りつく島もなく黙ってしまった。
いずれにしてもみんな何某かの形で自分を鼓舞し、治療に向き合い頑張っているのだと思う。帰る前にはOさんのカーテンをそっと開けて肩を抱きしめながら頑張ってねと声をかけた。
短時間にいろいろな人の有様を見たが、
この部屋で学んだことは多かった。
自分に癌の不安がないかというとウソになるが、“癌だったら心を元気にして治療に乗っていくしかない。一緒に頑張ろう”いつもそういって励ましている患者さんへの言葉を初めて自分に向けてみた。
結果は2週間後にわかり、この時点では正常と判断された。ただし母は乳がんと胃がんの経験があるため今後も健診は怠らないようにしたいと強く思った。
2㎏落ちた体重は年のせいか戻らないが身長からするとちょうど良い気がする。
腸内細菌叢も2回洗浄されて変化しているのではと思う節がある。まったく食べなかったスイーツや果物がおいしくなり逆にお酒類には拒絶する品種も出てきた。HbA1cは6%未満とはいえ上昇中。糖尿病の家系であり要注意。
2月中旬に入り、少しいたわりすぎた体を徐々に鍛えようと空いた時間に筋トレやストレッチを開始した。ヨガホイールなるものを購入し腰部に充ててイナバウワーをしていたところそのホイールがバタンと倒れ、円形の端で尾骨を強打してしまった。断末魔の雄叫び?のような声で家族をびっくりさせてしまった。
ええ…なんでえ!なんでこんな時に!
ただならぬ雰囲気で痛み止めを倍量内服し翌日は仕事をしたものの、人の勧めもあり整形外科受診。レントゲン撮影後待合室にいるとコロナ渦で閑散としているせいもあり、医師の言葉もよく聞こえる。“こりゃあ 痛かろう”という声に事態を察した。
“きれいに折れており全治1か月”の診断が告げられた。折れた部分が前向きに倒れていたら別の治療が必要だったとも。
ということで長時間座れない、痛み止めが欠かせない日が続いている。
こんな坂は、本当にたいしたことない坂だ。
ただ、非日常になることを受け入れるには大なり小なり時間がかかり、自分を様々な形で励まし、立ち直っているのだとつくづく感じる。
結局は自分で乗り越えるのだけれど、関わる人々の共感の中にある優しい気持ち、いたわりの気持ち 気持ちのキャッチボールがあれば少しでも早く回復に向かうと信じている。
3月吉日



