北九州糖尿病懇和会スタッフ募集のお知らせ
DATE:2023.09.11
まわりの景色が変わっていく
DATE:2023.08.24
ここ最近、この言葉と現実が重なる出来事が幾つもありました。
いつも利用していたブティックから突然閉店セールのハガキが届きました。バーゲンのお知らせで、割引もあるし、ちょっと覗いてみようと店に行きました。20年来私を担当していたスタッフさんに理由を尋ねると、契約更新の時期と今後の5年を考えると店を閉じる決断をしたとのこと。サイズも好みの色もデザインも全部私の事をわかってくれていたので非常に残念!ブラウスを1枚購入して帰宅しましたが割引してもらったことより、寂しい気持ちがふつふつと湧いてきました。ついでに寄った靴屋さんまで閉店します。この時はあれこれ眺めたけれどさすがに購入諦めました!購買意欲撃沈!!
さらに、買い物帰りの車から目にした光景で、近くにあるH書店、あまり買いに行くことはなかったけれど重機が何台も動いていて、あれあれ・・建て替えかなと思っていたら、瞬く間に更地に変化している。これまた残念と言うか寂しい光景です。この後どのように変わっていくのでしょうか?かなり広い敷地なのでマンション?立つのかな?
さらにさらに、いつも利用していたガソリンスタンドまでが閉店しますと掲示している。なんとまあ、たて続けに閉まっていくのか、これが世の中の動きなのか、コロナのせいではないと思いますが、残念!残念!閉店最終日にガソリン入れましたが、心なしか店員さんの表情も暗く寂しい感じがしましたね。
さらにさらにさらに、退職、転勤、異動など人の動きもあり、親しくして頂いた人、一緒に悩み相談させて頂いた人、今年はなんでこんなに変化していくのかなと考えます。・・・
私事になりますが、ブリザーブドフラワーを下手の横好きで3年近く習っていましたが、時間の調整がなかなか上手くいかず、しかも上達せず断念!これまた中途半端なやめ方です。今は過去の作品を眺めながら日々過ごしています。周囲からは何かしないと呆けますよと囁きがあり、
現在模索中・・・どなたか私に合う趣味の提案を下さい。待ってます!
暑さ厳しき折、皆さま体調を万全にして頑張っていきましょう!
まちかど糖尿病教室
DATE:2023.08.09
まちかど糖尿病教室スタッフ募集です。
・内容:血糖測定等(イベント参加1回給付)
・イオンモール八幡東店
・青ジャンバーと名札持参。
・可能な限り公共交通機関で参加してください(当日、イオン内には駐車不可です)。
・参加申し込みはログインして参加申し込みを行ってください(ログイン方法が不明な方はホームページの「関連資料」にある「ログイン方法について」を参照してください)。
・連絡事項はメールにてお知らせしますので、会員情報にメールアドレスのない方は登録をお願いします。
・募集締め切りは2023年9月3日(日)17時ですが、定員になりましたら早めに締め切る場合があります。
・事務局より電話をかける場合がありますので、知らない番号でも通話をお願いします。
山国川の思い出
DATE:2023.08.01
皆さんの「セピア色の思い出」はなんでしょうか? M
に続き私のセピア色?
いやいや色あせない思い出でしょうか・・・山国川にて I
子供のころは山国川の下流に近い 山国大橋の一つ上の市場橋付近に家があった。
家から川までは100メートル満たない距離である。
夏休みの山国川は私と兄の遊び場だった。父母が仕事に出掛けると夏の学習などはそっちのけで叱られるまで遊び惚けていた。
真っ黒に日焼けした腕はひと夏に2度も白い薄皮がはげた。白くなった薄皮の面積を如何に大きくはげるかが兄と競争だった。
私の山国川といえば鰻と鮎。
兄と二人で20センチほどの石を集め直径2M高さ1m程に積み重ね、その中に入ってくる土用鰻を取ることが唯一の楽しみであった。
今はかっこよいゴーグルで水中を見るが昔は顔半分を覆う水中眼鏡なるものを使っていた。【そう。海女さんが使うような】。ガラスが曇ると川岸のヨモギを取り石の上に置いて別の石でたたいて柔らかくする。それで水中眼鏡のレンズを磨き水で洗うと素晴らしくクリアになったことを思い出す。
4~5日してその石を一つずつ取りながら3メートルくらい離した場所に積んでいく。その過程で石と石の間にウナギの白く光る腹が見えたりすると驚きや怖さや嬉しさやいろいろな感情が一気に重なる。
兄に伝えるときには指でここ、ここ、という風に示した。
兄はヤスという5本の剣が立った 鰻を刺す道具を持っていてすぐに捕まえかごの中に入れてくれた。父が捌き、母が七輪で火をおこしてかば焼きにしてくれる。
今では考えられない大きさのウナギが取れることも多々あった。おいしかった。
ウナギの旬は秋冬というが子供のころに染み付いたウナギの味は有名どころの鰻よりはるかにおいしく感じられ忘れられない。
父とウナギの思い出は父が刺したうなぎが腹を立て私の顎に嚙みついた事件。
私は泣きもせず唖然としていたが父が驚き焦ったことが今でも思い起こされる。
父は仕事から帰ると私をよく山国川に連れて行った。
夕方は夕日を浴びて浅瀬に集まる魚が腹を見せてきらきらと輝き水しぶきを上げる。魚に気が付かれないよう近づき、投網という丸い形をした網のふちに鉛の重りをつけたものを懐に抱きながら大きく開くように投げかぶせる。そうすると何百匹かわからないほどの小魚が取れ、煮たり佃煮になったりと自然を感謝の気持ちでいただいた。
川鮎を取るためには向こう岸まで網を張る。1~2時間すると今では見られない30センチもあるような川鮎が鰓を網にかけてつかまっている。まさに体験学習で、父は網から外してとるように言うが子供の手では鮎の動きはおさえられず、網まで破って逃げられてしまうことが多々あった。しかし父から叱られたことは一度もなく、何回かするうちに上手になっていった。取れた鮎は七輪で塩焼きにし、よく焼けたら背腹を指で押し骨と身を離す。
尾をねじて取り、頭を上下に2~3回動かしてゆっくり引っ張ると頭と内臓付きの骨がするっと抜ける。ほくほくとした口当たりと苔を食べて育った鮎の独特の香りは昨今ではなかなか経験できないものになった。
泳ぎも教えてもらった。基本のバタ足は後までも武器になり小学校では市の大会に出場、高校では県体にも出場させてもらって良い思い出となった。
川での父は常に周囲に気を配っていたことを思い出す。上流に見える八面山に灰色の雲がかかり見るからに雨が降っている様子が子供心にもわかると“もうすぐ水が出るぞ”と教えてくれる。何分か経ったのちには足元がさわさわし、見る間にくるぶしから上へと水が増していく、父に手をつながれ“上がるぞ”という言葉でコケに滑りながら急いだものだ。
毎年夏になるとキャンプや川遊びでの事故が多々おきるが危険回避の方法やタイミングを知ることはとても大切だと感じる。
そんな私も絶対に行ってはいけないといわれていた市場橋の下、潜って遊んでいたところ八番線の太い針金の塊に足を取られ外れなくなった。
溺れかけたが、死ぬことよりも親に叱られることのほうが恐ろしくなって必死にもがいた。何秒経ったか、すっと外れた時には本当に安堵した。今から思うとご先祖様に守られていたのではと思えるような不思議だった。
父はこんな私に “お前が男に生まれていたらなあ” と口癖のようにいっていたことを思い出す。父や兄との川遊びには十分すぎるくらい男らしかった?のかもしれない。
なんとも元気に過ごさせてもらった山国川、一級河川、いつまでも清い流れでいてほしい。



